誰も見てません

Nobody cares

さよなら

今日9/1、猫との別れの日になってしまった。8月を乗り越えて、最期まで本当にがんばった。ギリギリまで生きたと思う。最後の最後は眼球の震えが止まり、のけぞって、両手両足を硬くし、伸ばして、低い声をあげた。抱いていたけれど、苦しい体勢だったかもしれない。気分の良くないときの抱っこは嫌だったかもしれない。それでも抱えてしまった。

目に見えてもがいたり鳴いたり息が苦しそうだったのは最後の1時間くらいで、それまではじーっと静かにしていた。猫って本当にすごい。私の猫。立派だった。うろたえる力が残ってなかったのだとは思うけれど、今日まで1ヶ月ほども、じっと静かに耐えていた。パニックになることなく、おかしな行動もほとんどなく。

何が正解だったかわからない。初めて猫を飼い、初めて見送った。過ちはたくさんある。仔猫のときから寂しい思いをさせたこと、無茶な移動をしたこと、ご飯に気を遣わなかったこと。もっと遊んで一緒にいて良いごはんをあげればよかったと、挙げればきりがない。腎不全になってからの通院や投薬や注射も、もっとできることがあったと思う。謝ることばかりある。猫がどこまで許してくれているか、楽しんでくれていたか、不安だけれど、私は本当に私の猫が大好きだった。冷たくなった猫は美しいまま、まるで眠っているようだ。でも触ると違う。綺麗なこの毛並みがもう生き生きと揺れないのは本当に悲しいけれど、今頃苦しみから放たれていると思うと嬉しい。

猫のいない生活に慣れていくのかな。私の猫も、いきなり私のいないところへ行って、戸惑っているかな。そんなことなく、楽になっていると良い。私がいる時間に逝ったこと、私に心の準備をさせてくれたこと、勝手だけど最期まで本当に私思いのかわいい猫だった。さよなら、私の猫。