誰も見てません

Nobody cares

年末の風

今日から夜中のおせちの箱詰めバイトに行くので、昨夜は朝方までSMAP×SMAPの最終回を観て、夜型生活に備えていました。でも10時頃目が覚めてしまってこれからのバイトが不安です。SMAPはなんだかやっぱりかわいそうでした。なんだか変でした。笑顔で歌を歌ったり、スタッフと写真を撮ったりしていたけれど、泣いているだけで、なにも言葉を話さないで、変でした。観ていて悲しくなりました。
おせちのバイトは初めてなので、少し楽しみですが、きっと少し退屈だと予想しています。流れ作業かな。嫌な人がいないといいと思います。クリスマスは、もうあんまり覚えていないけれど、楽しかったです。美味しいお肉と美味しいお魚を食べました。それから、お菓子や菓子パンを食べるのをやめると宣言してしまったので、今日から我慢の日々が始まります。がんばります。

今年も、あっという間。

2017年は星野源の年だったのではないでしょうか。

いつからか大きな会場でのライブが当たり前になり、チケットは取れなくなり、ぼそぼそと自信なく歌うようなこともなくなり、楽しそうに嬉しそうにテレビで歌っている姿を観るようになりました。風呂ロックできいた「うたをうたうときは」はつい最近のことのようで、もうはるか昔なんだなあ。どっちの星野さんも好きですが。あまりに売れて公認されてる現状に寂しいわけでもなく嬉しくないわけでもないですが、なんというか、、、かっこいい!かわいい!とInstagramなどでハートつけられてもピンと来ないというのはあります。

紅白は恋で出るんですね。みくりもいるけど、踊るかな?踊るよね。楽しみです! そういえば恋のCDについてきたDVD、かなり楽しそうでしたね。もうかなり早い段階でキャラ設定崩れていたけれど、それでいい。とにかく気を抜く時間、休む時間をとって、度々出る体調不良の報を減らしてください。心配するので、なにとぞよろしくお願いします。

スープストックは好きなほうだ

久しぶりに帰りにスープストックでご飯を食べた。たまにはいいだろう。ほんとはもっと通いたいけれど、私のためと猫のために節約生活を始めたので我慢している。ブラウンシチュー美味しかった。スープとかカレーとかも勿論美味しいけれど、実はこの胡麻の入ったご飯がとても美味しい。

子猫はすくすくと育っている。ゆっくりと、周りの人にも飼い始めたことを話している。いまだに良い決断をしたとは我ながら思えない。余裕がある暮らしをしていないし、これから転職や結婚を考えているから。だけどもう先月の私はどうしようもなくて、猫を貰うことしか頭になくて実際に猫を貰ってきたので、これから20年一緒にやっていくしかないのだ。猫がいると、生活が潤って、自分が少し正される。それでもやはり、失った猫の分の隙間のようなものはそのまま空きっぱなしなのであった。よくわかった。

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猫を飼う

仔猫を2匹、飼うことにした。捨てられていた?猫と、野良猫の子ども。別々に保護されていた2匹。今日は引き取りのため、終日予定をいれなかった。
今は1匹連れて帰ってきたところ。まだ名前もつけてないこの仔猫、ビビることなく進んでいく。私に構わず、とりあえず部屋をパトロールして満足したのかさっさと寝た。度胸があって美しくて良い猫だ。これからが楽しみ。

※全く可愛さの伝わらない写真が撮れた。
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忘れる

以前やっていたブログに、「このブログはこれで終わりにします」というような内容の記事を更新した。その後確認したら、なんとその一つ前の記事も同様の内容で書いていた...。忘れやすい。敢えてそのまま残した。
ぐんと寒くなって、ふゆ。夏ぶりに、今日は久しぶりにスタジオに入った。歌うのも久しぶりなので、声が出なくて残念だった。鍵盤も、もっと練習しなくては。
青柳の文子ちゃんが結婚、妊娠!おめでとうございます。「あお」を、久しぶりに読み返そう。とてもお気に入りの雑誌。

whenever you are

猫を失ってもうすぐ二ヶ月がたつ。友人の前で猫が夢に出てきた話を少ししたら、涙が出そうになって自分で驚いた。この感じでは、私の腕のなかであのこが死んだときの話など、とてもできない。もう、泣かずに話せると思っていたから、驚いた。それ以上、猫の話は止めた。

保護された猫の里親募集のサイトを毎日毎日、何時間かおきに眺めている。猫が使っていたトイレや鞄や爪研ぎをどこかの保護団体に寄付しようと思ったのがきっかけだったけれど、このまま残してまた猫を飼い始めようと思っている。

さっきテレビでセリーヌディオンのタイタニックのテーマを聴いて、ネットで歌詞と和訳をみて、好きだなと思った。たぶん小学生の頃観たタイタニック、今でもたまに観たくなる、大好きな映画だ。あまりに有名で、好きな映画の紹介としてはおしゃれじゃないけれど(おしゃれな人はgummoとかひなぎくとかを出すのでは)、私はタイタニックがベスト3に入ると思う。たまに夢の中で、とても現実的で、感情的で、ノスタルジックで、壮大な体験をすることがあるけれど、タイタニックはまさにそんな夢に似ている。愛して失ってもう二度と戻らない存在と時間が、確かにあった中に自分が生きていたという事を実感する感覚。

Every night in my dreams
I see you, I feel you,
Far across the distance
And spaces between us
You have come to show you go on

Near, far, wherever you are
I believe that the heart does go on
Once more you open the door
And you're here in my heart
And my heart will go on and on

もう猫はいない。夢で過ごした彼らもいない。亡くなったあの人もここにはいない。私もいつかいなくなる。だけど、なくなるわけではない。誰かの中で、誰かが生きている。

うわん

っていう妖怪がいたような気がする。随分前に、妖怪検定を受けたときに勉強したと思う。妖怪の名前と特徴と出没場所を覚える勉強は、楽しかった。

猫はどうしているだろうか。私を見ているだろうか。そろそろ四十九日。いなくなるのだろうか?道端でみる猫もテレビでみる猫も、私にとってはただの動物で、私が飼っていたのは本当に猫なんてものだったのか?大きな存在だったから、よくわからなくなっている。顔も猫ではないように感じる。ペットロスのひとつなのか、思考があやしい。落ち着こう。